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浦河簡易裁判所 昭和43年(ろ)1号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は、

被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四二年八月四日午後三時一五分ごろ自動二輪車を運転し、浦河郡浦河町字向別五八七番地の交通整理の行われていない丁字路交差点を向別方面から堺町方面に向かい進行中丁字路を右折するに当り「右折の合図をし、徐行して対抗車輛または右側の並進車輛、もしくは後続車輛との安全を確認してできる限り道路の中央に寄り、交差点中心の直近内側を進行しなければならない注意義務があるのに後続する後記工藤運転の車輛との安全を確認せず、道路の左側を進行し、交差点の直近において初めて右折のウインカーを点滅し、かつ交差点の約八メートル手前において時速二五キロメートルで右折進行した過失」により後方から進行して来た工藤博(当一八年)運転の原動機付自転車に自車を衝突させ、よつて自車に乗つていた渡辺正義を同月五日午後〇時四三分ごろ同町東町二三〇番地浦河赤十字病院において頭蓋骨々折により死亡するに至らしめたほか前記工藤に対し、加療三七日間を要する頭部打撲、左下腿打撲の傷害を与えたものである、(罰条刑法第二一一条前段、道路交通法第三四条第二項第一二一条第一項第五号)というにある。よつて検察官提出の各証拠を総合すれば、被告人は自動車運転の業務に従事していたものであるが、昭和四二年八月四日午後三時一五分ごろ自動二輪車を運転し、渡辺正義を同乗して浦河郡浦河町字向別五八七番地の交通整理の行われていない丁字路交差点を向別方面から堺町方向に向け、時速約二五キロメートルで進行中工藤博(当時一八歳)運転の原動機付自転車と衝突転倒し、同乗の渡辺正義が頭蓋骨々折の傷害を受け右傷害により同月五日午後〇時四三分ごろ同町東町二三〇番地浦河赤十字病院において死亡し、工藤も加療三七日間を要する頭部打撲、左下腿打撲の傷害を受けたことが認定できる、けれども被告人に本件事故につき業務上の過失ならびに道路交通法違反の事実があるかどうかを検討する。

一、当裁判所の検証の結果と被告人の当公判廷における供述および証人工藤博、同斉藤健三郎、同若有泰長、同江端一夫の各証言を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)道路および交通の状況

1本件事故現場は浦河町上向別より向別を経て堺町方面に延長した道々で向別橋を渡り間もなく酒井牧場入口がありその入口辺より道々はカーブとなつて、そこから堺町方面に直線道路になつてのびており右牧場入口附近より本件事故発生した交差点までの間は約一九〇・七〇メートルあつてその間は直線のため見透関係極めて良好であり、衝突地点は右道々より若有泰長方に通ずる巾約二、三〇メートルの小道と丁字形交差点をなしておる交差点内であり右道々は有効幅員約六メートルの砂利道(道路中央附近は車両の通行によつて小石が道路両側に集り非常に平旦で中央が少し高く両側が少し低くなつていて、ならされていて凹凸もない)で車両の通行に支障のない、よい道路であり、その両側には水田又は牧場が連り牧柵があつて道路際は雑草が繁茂しておること。

2本件交差点附近の道々は平素交通頻繁ではないこと。

3衝突地点は当裁判所が検証の結果によれば、若有宅小道の右端から道々の中心に延長して接する個所において警察官作成の実況見分調書記載の衝突地点とは約五メートル相違しており検証の結果認められた衝突地点は検証調書記載のとおり本件交差点のほぼ中央に近いところであること。

(二)若有泰長の目撃状況

1証人若有泰長は事故当日朝から自宅前の牧柵を修理していたところ昼頃自宅前の道々を学生らしい若者が乗つたバイクが高い金属音をたてて土煙りを高くあげて向別橋方面に走り去るのを見たが午後になつて再びそのバイクが前同様の高い金属音と土煙りを高くあげて帰つて来たのであるが自己の運転経験(バイク)から見ればその時のバイクの速力は往復共に八〇キロメートルは出ていたと思われること。

2そのバイクが戻つて来たころ岩谷の車が土煙りもあげない位の速力で右折の合図のウインカーを点滅させながら自分の家の小道に右折するため車の向をかへたとたん後から来たバイクが車の後部にぶつかつて乗つていた人は丁度槍投げの槍のように頭を地面に向けささるように投げ出されて転倒した。その時バイクに乗つていた若者が往復とも工藤博であつたこと。

3証人若有は本件交差点の前方二五メートル位のところの牧柵を修理しており最初両者を見たときバイクは交差点より約三〇メートル先におり、岩谷の車はその手前約一〇メートル位のところに見たと述べていること。

(三)工藤博の行動

1工藤は事故当日の昼ごろ友達と「キリギリス」を取るため家にあつた原動機付自転車に乗つて若有宅前の道々を堺町方面から向別川の先にある絵笛の牧草地まで行き「キリギリス」を取つて遊んで一人でまたバイクで帰る途中向別川の橋の上で休んでいた時被告人の車と会いその車が先に出発してから工藤は速力を五〇乃至六〇キロメートル位で道路左側を後から進みカーブを過ぎて直線道路に出てから事故現場の約三四メートル位手前に行つた時道路中心から約五〇センチメートル位右側により前方一〇乃至一二メートル先を進行している被告人の車の後について進行し、事故現場より約二四メートル位のところに行つた時被告人の車は工藤のバイクより約一六・七メートル先に進行しており両車の距離が段々ちぢまつてゆき自車が事故現場から七・八メートル位手前に行つた際前車がスピードが落ちて道路中央に寄つて来たが自車を先に通してくれるものと思つて別に速力を落さず進行したところ前車が急に右折したので初めて右折に気がつき危いと思つたが余り近くに来ていたのでアクセルを戻した丈でブレーキを踏む暇もなく衝突してしまつた旨、述べていること、

2工藤は警察官に対し五〇乃至六〇キロメートルの速力を出して橋から二〇〇メートルか三〇〇メートルのところで追いついた時前車のスピードが落ちたので追越にかかろうとして右に寄つてゆき間近になつたとき前車が右折し初めたためブレーキを踏んだが間に合わなかつたと述べていること。

(四)被告人の行動

1被告人は事故当日農事調査のため勤務庁の自動二輪車に所長渡辺正義を同乗して最初は向別の奥の調査をして終り時速四〇キロメートル位の速力で次の調査先である向別の若有宅に向うため向別橋方面から堺町方面に向つて本件道々の左側を進行し若有宅近くになつて丁度衝突地点から三二メートル位手前に行つた時速力を二五キロメートル位に落し、首を後に向けて後方を見たが直線の道路はよく見えて車の来ることや、他に車の音も聞えなかつた、それで徐々に中央線に寄つて若有宅に右折する準備としてウインカーを点滅(前部と後部とに各二つあり)して合図をして進み、速力も八キロメートルから一〇キロメートル位に落して徐行して交差点の中心から約四〇センチメートル位のところまで進みそこでハンドルを右に切りその時バツクミラーで再び後方を見たが前同様後続する車も他に車の音も聞えなかつたので車の頭部を右寄り斜に小道の方に向け中央線より出し右に這入つたと思つた時突如工藤のバイクが被告人の車の後輪の中心にイの字形に衝突して両車とも転倒して被告人の車の後部に乗つていた渡辺所長は堺町方面に向つて約七メートル前方道路上に投げ出されて重傷を受け、翌日死亡するにいたり、また工藤も受傷したこと。

2衝突当時被告人および渡辺正義は共にヘルメットを着用していたこと。

3被告人は裁判所の検証当時指示したとおり警察官に述べているが出来た実況見分調書の内容は違つていたこと。

二、以上の各事実から見れば工藤博は当時一八歳の高校生であつて運転免許を有せず、原動機付自転車を無免許のうえ無謀運転して起した事故(同人は昭和四二年春にも無免許運転により罰金に処せられている)であるが、本件バイクの事故当時の速力については証人若有泰長の供述により明瞭であるように当時工藤のバイクの速力はゆうに八〇キロメートルを出ていること、工藤のバイクが突如被告人の車に衝突したこと、また被害者渡辺が衝突地点より約七メートルの先に槍の様に投げ飛ばされたことなどより右証人の証言は十分信頼するに足るばかりでなく事故当時双方の車の速力の相違本件現場における距離等を検討する場合工藤は八〇キロメートル近い高速力を出しており、被告人は約四〇キロメートル位で当時土煙りも上つていない位の速力であつたとすれば、本件直線道路の中間で既に後車は交差点前で前車に追いつくか又は追越して前車の先に進むことになり工藤が弁解するような速力(最初五〇乃至六〇キロメートル位と述べたが後にいたり進行途中速度計を見たところ五五・六キロメートルを示していたと改めている)で進行していたとの供述は到底措信することができない。

次に工藤が被告人のウインカーの点滅を見たかどうかの点については同人の答弁は実に区々末々であつて結局は右折の合図は見ていなかつたことが事実と思われるのである、それは工藤は若有宅への小道のあることも事故まで知らなかつたということであるから若し知つていたならば被告人が右折の準備として道路中央によつた際気付く筈であり、ところが小道に気付かなかつたのでその合図までも見落したのであつて、それはとりもなおさず工藤が直線道路で平旦であり被告人以外の車はなく絶好の条件になれて若気の余り高速度を出して進行したものであつて、若し工藤が交通法規を守り制限速度で進行し、前車を追越すにあたり徐行して注意深く追越にかかつたならば右折の合図を早期に発見出来て仮りに前車が急に右折をしたとしても当時対面、後続の車がいずれもなかつたのであるから或は追越を中止して前車の左側を通つて危険を未然に防ぐ余裕が十分あつたものといわなければならないのにそれを敢えてせず制限速度の何倍にも相当する高速度で直進したことから自車の速力が余りにも猛スピードであつたため臨機の措置をとることができなかつたことが原因であつて本件は工藤が右折合図を見落し高速度で進行したことが事故誘発の主原因であつたことが明瞭である、検察官は被告人が右折直前にウインカーを点滅した旨主張するが叙上認定によつて明らかなとおり理由がない。

飜つて被告人の本件行動について見るに被告人が本件事故発生前事故現場手前約三二メートルのところで右折準備として道路中央によつた際首を曲げて後方を確認しており、次は右折して車の頭部を右斜に若有宅小道の方に向けた際バツクミラーで後方を確認しており、この二度にわたる確認の際後続する車も車の音も聞えなかつたと述べておるのであるが、それは次に述べるところにより信頼するに足るものと認められるのである、それは被告人はこれまで道路交通法違反もなく近く無事故の表彰を受ける筈であつたこと、同乗して本件によつて遭難した渡辺正義は所長として常に部下の車の運転を厳しくしており自己が同乗した時でも常に車上から自ら確認して注意を与え安全運転を部下に督励していたことがうかがわれ、そのような注意深い渡辺所長が当時若し工藤のバイクが近くに来ていて音が聞えていたならばいち早く運転者の被告人に其の旨を告げて対処させる筈であるのに、そのことがなく衝突直前にいたり只「アツ」と一声をあげて転倒した事実から見ても工藤のバイクが如何に猛スピードであつたかを証するものであるが然し工藤が近くまで来ていたことが或は自車の排気音によつてさえぎられて聞えなかつたか又は両人ともヘルメツトを着用していたため聞えなかつたと想像してもそれは被告人の責任に帰することは出来ない。仮りに被告人に後続する工藤の確認を欠いた過失があるとしても通常車両の運転者は互に他の運転者が交通法規に従つて適切な行動に出るであろうことを信頼して運転すべきものであり、本件の場合被告人は法規に従い右折の準備として道路中央により同時にウインカーを点滅して合図をして徐行して交差点の中心の直近の内側附近を右折したのであるから、無免許にてバイクを運転し、右折の合図を見落し高速度で道路中央の右側にはみ出してまで自車を追越そうとする他車のあることまで予想して右後方に対する安全を確認して事故を未然に防止すべき業務上の注意義務のないことは当然のことであるというべきである。

次に検察官は本件弁論終結直前訴因を変更して被告人に対し後方未確認の過失(前訴因)の外に右折方法不適当として道路交通法第三四条違反を併せ訴追するのであるが道路交通法によれば運転者は検察官主張のごとく基本的義務を負うものであるが本件については警察官作成の実況見分調書記載の衝突地点が検証の結果事実と相違しておるばかりでなく証人江端一夫の供述によつて被告人指示の地点が真実の衝突地点と認定することが相当である現在としてはその衝突地点より判断して被告人が右折した地点が検察官主張するところの道路交通法第三四条所定の「交差点の中心の直近の内側」に当るところと多少相違することは事実としても本件は叙上認定のごとく工藤の無謀運転が原因であつて被告人の後方確認の注意義務違反の過失の存在が認められない以上右の右折個所が「中心の直近の内側」に多少外れていたことをもつて右折方法違反として被告人にその過失責任を追及することは本件の場合当を得ないものと解するのが相当である。

三、要するに本件衝突は工藤が前方注視を怠り右折の合図に気付かず、且高速度で漫然交差点に直進して既に右折開始をした被告人を追越そうとした無謀操縦に基因する一方的過失に外ならず、被告人には後方確認ならびに右折方法につき刑責を負わしめる迄の過失はないものというべきである。

以上の次第であるから本件各訴因につき犯罪の証明十分とは認められないので刑事訴訟法第三三六条によつて主文のとおり無罪の言渡をする。

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